聖ヨハネ会St. John's Congregation

福音史家聖ヨハネ布教修道会The Missionary Sisters of St. John the Evangelist

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戸塚文卿師

Fr. Bunkei Totsuka

戸塚文卿師の年表

Chronoly

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年号
年号
内容
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1892年
明治25年
戸塚文卿は横須賀で海軍軍医総監を父に10人兄弟の長男として誕生。
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1904年
明治37年
父の勤務の都合で佐世保の高等小学校3年を終了後、東京の暁星中学校に入学し、寄宿生活を送りました。学校の成績は優秀で、フランス語もぐんぐん上達し、4年生には首席になりましたが、信仰については全く無関心で、雪の日には、校庭の聖ヨゼフ像に雪球をぶつけて遊んでいる姿が見られ、先生方を失望させた唯一の点でした。ところが4年生の冬休みに品川の実家に帰って父に会ったとき、父が急に年を取ったと感じ、この父ともいつか別れなければならないと思うと、たまらない寂しさがこみ上げ、寄宿舎に帰ってからも「僕が今すぐ死んだらどうなるのだろう」と心配になりました。翌朝セネンツ先生にそれを打ち明けると「君にも宗教心が芽生えたのです。信仰は神の恵みですから、要理を習い、良く祈りなさい。」と優しく諭されました。その後マリア会のアンベルクロード神父からフランス語で要理を習い、洗礼の準備もできたのですが、暁星在学中には父から受洗の許可を得ることができませんでした。
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1909年
明治42年
一高に進学してから、麻布教会のツルペン神父(パリミッション会)に洗礼の相談をしたところ、「あなたのお父さんは肉体上のお父さんです。わたしはあなたの霊魂上の父ですから、わたしが洗礼を授けます。」と言われ、文卿は先輩の岩下壮一氏を代父に、ヴィンセンシオ・ア・パウロを洗礼名に選び、ツルペン神父から洗礼を受けました。
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1912年
明治45年
東京帝国大学医科大学(東大医学部)に入学。
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1916年
大正5年
同大学を卒業して、佐藤外科に入局。
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1917年
大正6年
卒業証書授与式に、大学の成績が優秀なものに与えられる恩賜の銀時計を受けました。
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1918年
大正7年
東京女子医専講師、その後東大医科大学助手を勤め、
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1921年
大正10年
北海道帝国大学助教授に任ぜられて、文部省から留学の命あり渡仏、パリのパスツール研究所で組織学の研究を始めました。ところが夏休みに岩下氏の勧めでロンドンへ遊びに行き、コールダッシュの修道院で若い聖女に出会ったとき、雷のように主のみ声が文卿の耳と心に響き、万事を捨てて司祭へ道に転向せざるを得なくなりました。そして日本に帰ったら、カトリックの病院(神様の家)を建て、医師としてまた司祭として働くことを決意したのです。父環海と家族は文卿が帝大教授への出世コースを捨てて、司祭の道へ転向したことに、どれほどの打撃と悲痛を味わったか知れません。文卿は司祭になるためにラテン語、哲学を勉強する傍ら、「ボン・サマリタン(善きサマリア人たち)」という会を作って男女の別なく、聖職者、一般信徒の区別もなく、種々の職業、身分の人々が共同でキリスト教的理想を追求するという貴重な体験をしました。この会は医療上のミッションとカトリック社会事業を促進することを目的としています。文卿はパリで神学を勉強していた時、ウラジミール・ギカ公爵(1923年司祭叙階)とも親交があり、いろいろな面で良い感化を受けました。
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1924年
大正13年

パリ郊外サン・スルピス神学校で司祭に叙階され、東京に愛と祈りの病院を建てようとの決意をもって帰国しました。

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1925年
大正14年
帰国すると直ちに品川に「聖ヨハネ汎愛医院」を開き、医師としてまた司祭としての活動を始め、一緒に働く仲間を募りました。当時結核が蔓延し、悲惨な状況の人々が巷に溢れていましたので、師は病人や貧しい人々の心身の救いのために献身的に働き、
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1929年
明治4年
結核回復期の青年たちのために「ナザレト・ハウス」を開院。
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1931年
昭和6年

それを千葉県の九十九里浜に移転させ、「海上寮」として結核療養所を徐々に拡張して、充実させていきました。師は医療活動の他にも数々の翻訳や聖人伝の執筆など文筆活動にも力を注ぎ、雑誌「カトリック」の主幹「カトリック新聞」主筆も務めました。また東京カトリック大神学校からの依頼で「自然科学概論」の講義を担当したり、同年創立された「国際聖母病院」の院長も嘱託されました。

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1932年
昭和7年
聖ヨハネ医院」を西小山に新築移転させ、2年後に聖堂を併設。
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1933年
昭和8年
フランス留学中に知り合ったウラジミール・ギカ師とレオ・ウォード師が来日し、旧交を温めました。
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1938年
昭和13年

カトリック中央出版部長、カトリック新聞社長に就任。師の活動の最後の結実は「桜町病院」でした。師は地所探しに奔走し、予定地は武蔵野の小金井に決定、募金のため趣意書が配布され、

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1939年
昭和14年
2月、念願の桜町病院の建設工事が始まりましたが、寝食を忘れて働いた戸塚師は過労のため、心臓の発作をり返し、遂に入院。同年8月、桜町病院の建設中、その完成を見ずに47歳の若さで天に召されました。冒頭の聖書の言葉のように、「一粒の麦が地に落ちて・・・豊かな実を結んだ」生涯でした。
  • BIRTH
    BIRTH
    1892 Bunkei was born in Yokosuka, Kanagawa in 1892 as the first child to Kankai Totsuka a Surgeon General of the Imperial Navy and Hana, whose grandfather was a friend of Bunkai, Bunkei’s grandfather.
  • UNIVERSITY SCHOOLING
    UNIVERSITY SCHOOLING
    1912 Entered the Medical School of the Tokyo Imperial University. Graduated with honors in 1916.
  • PARIS
    PARIS
    1921 Studied at The Pasteur Institute, Paris and then Theology.
  • LONDON
    LONDON
    1921 In the summer he visited London and heard the call to the priesthood.
  • BONAI CLINIC
    BONAI CLINIC
    1925 Immediately after his return to Japan he embarked on founding St. John’s Bon’ai Clinic in Shinagawa, Tokyo and started his work as doctor and priest.
  • GREAT KANTO EARTHQUAKE
    GREAT KANTO EARTHQUAKE
    1927 Working with survivors of the Great Kanto Earthquake.
  • KAIJOU CLINIC
    KAIJOU CLINIC
    1931 Moved the Nazareth sanatorium to Kujukurihama in Chiba prefecture and renamed it [KAIJORYO].
  • NISHI-KOYAMA CLINIC
    NISHI-KOYAMA CLINIC
    1932 Moved his clinic to Nishi-koyama to expand his work. Two years later, a church was built next to the clinic.
  • RENUNION WITH MONSIGNOR GHIKA
    RENUNION WITH MONSIGNOR GHIKA
    1933 Monsignor Ghika came to Japan with three Carmelite sisters and visited Fr. Totsuka in his clinic.
  • TIME OUT
    TIME OUT
    1939 In Izu receiving medical treatment.
  • FR. TOTSUKA PASSES AWAY
    FR. TOTSUKA PASSES AWAY
    1939 Aged 47, Fr. and Dr. Bunkei Totsuka passes away without seeing the completion of his dream, Sakuramachi Hospital.