聖ヨハネ会St. John's Congregation

福音史家聖ヨハネ布教修道会The Missionary Sisters of St. John the Evangelist

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創立者: マザー岡村ふく

Founder: Mother Fuku Okamura

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年号
年号
内容
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1899年

明治32年

岡村ふくは東京、京橋で誕生。両親ともに長野県の出身で、若いころに上京し、父竹四郎は福沢諭吉の塾生として学び、母政子は神田のニコライ神学校に入り、国立美術学校(現在の東京芸術大学)の第一期生として西洋画科に入学。岡村氏と結婚してから石版印刷業を始め、石版画で才能を発揮しました。末っ子のふくが生まれた頃は、19歳を筆頭に姉2人、兄2人がいて、事業は順調に展開していました。生後1週間後に洗礼の恵みを受けたふくは、幼いころからいつも両親に連れられて神田のニコライ堂へ熱心に通って、日々の生活を通して信仰は育まれていき、家庭では厳しく躾けられました。
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1911年

明治44年

楽しかった小学校を卒業して、香蘭女学校に入学。
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1916年
大正5年
家から近い聖心女子学院(現聖心女子大学)に英文科の専門学校が開校された時、友人と見学のつもりで立ち寄ったところ、日本語のわからない聖心会のマザーが二人を試験場に案内してしまい、1週間後には入学許可の通知を受けるはめとなりなりました。聖心女子学院での学生生活は、忙しい家事分担の務めを果たしながらの、膨大な量の予習、復習の猛勉強でしたが、キリストへの愛に強烈に駆り立ててくださる聖心会のマザースから受けたさまざまのな教えや生き方によって、ふくは自分が変えられていくのを感じました。
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1919年
大正8年
卒業の年にごく自然のことのようにカトリックに改宗。卒業後も学院に残り、語学やカトリックの教えの授業を担当していました。
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1923年
大正12年
岡村ふくの生家は関東大震災で全焼。その後目黒区に転居。岩下師が数人のグループのための聖書の勉強と病気がちのふくにご聖体を運ぶため岡村家に出入りしておられ、
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1927年

昭和2年
ふくは戸塚師が品川から洗足に移られたころ、岩下師の勧めで聖ヨハネ汎愛医院へ出入りし、戸塚師に尽くすようになり、
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1932年
昭和7年
聖ヨハネ医院が西小山に新築移転してからは、戸塚師と岡村家との交流も深まって、ふくの両親もカトリックに改宗し、父竹四郎は戸塚師の事業に援助を惜しみませんでした。
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1933年
昭和8年
ルーマニア出身のモンセニョール・ウラジミール・ギカ師が西小山の戸塚師を訪れ、フランスでの旧交を温めていた時、復活祭の準備のために熱心な信者が集まっていて、ギカ師がキリストの茨の冠の一片(ホーリー・クラウン)で信者を祝福した一瞬、それまで杖を突くほど不自由であったふくの足が突然治ったのです。健康を取り戻したふくは、戸塚師のたっての望みによって真剣にその事業に身を投じていきました。
 ある寒い真夜中に聖ヨハネ汎愛医院の玄関のベルがけたたましく鳴り、岡村ふくが出てみると貧しい身なりの男性が立っていて、井戸掘りの仕事を終えて帰ったら、結核を患っていた妻が倒れているので助けてほしいとのこと。体調の悪かった戸塚師を起こさず、先ず聖堂に行って祈り、看護師を連れて、かなり離れたその家に行ってみると、その人は喀血死していて悲惨な状況でした。結核は嫌われるので、近所との付き合いもなく、医師にもかかっていなかったとのこと、できるだけの後始末をして医院に帰ったら夜明けでした。
 このような悲惨な結核患者さんたちの心身の救いを願って、戸塚師は次々と事業を展開し、千葉の海上寮、そしてついに小金井の桜町病院建設へとこぎつけましたが、激務が続いて、狭心症の発作を繰り返し、師の活動の結実である桜町病院の完成を目前にして、岡村ふくらの必死の介護にも拘らず、
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1939年
昭和14年
戸塚師は若くして帰天され、その2か月後に病院は落成し、開院しました。そこで岡村ふくはかねてから観想修道会に入りたいとの望みを抱いていましたので、この機会にと思い、一緒に働いていた戸塚富久とともに土井大司教の所へ伺い、自分たちの希望を伝えると、大司教は意外にも「それはいけません。あなたが修道会を創立して、桜町病院を経営して行ってください。」と答えられました。数日間祈り、考えた末、自分の望みを押し通すよりも、土井大司教のお言葉に従って、出来る限り尽くすことが神のみ旨に従うことになり、神に光栄を帰する道だとふくは結論しました。
 そして「聖ヨハネ会の直接の生みの親は土井大司教様であって、師はいつも有形無形の援助を惜しみなく与えてくださいました。」と言っています。
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1940年
昭和15年
桜町病院の経営に携わりながら、岡村ふくは、戸塚富久、村井しげと共に修道会設立の準備を開始。指導司祭として着任された神言会のドイツ人司祭プンスマン師の協力によって会則作成、必要な書類を土井大司教を通して、ローマ聖座に提出。
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1944年
昭和19年
2月に会の創立許可がローマから到着し、6月には上記3人の着衣式を行い、戦争であらゆるものが次々と崩壊されてゆく中で、日本の片隅に一つの小さな修道会が誕生したのです。桜町病院は社会福祉法人が制定されるまで修道会が経営し、戸塚師の友人たち、教会関係者、ふくの母校の方々、近隣の商店の方々など各方面の善意あるご協力を頂いて少しずつ充実していきましたが、修道会草創の時代は貧しく食糧不足で、畑を耕し、家畜を飼い、資金集めに奔走し、岡村らの苦労は大変なものでした。
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1946年
昭和21年
岡村ふくら3人の初誓願。
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1951年
昭和26年
時のしるしをいち早く読み取ることのできたマザー岡村(創立者だけマザーと呼ぶ)は、戦災孤児の養護施設「愛聖園」をあけの星社会事業会から引き受け、小平に新築移転させ、会員を派遣しました。
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1952年
昭和27年
社会福祉事業法の制定によって、社会福祉法人聖ヨハネ会が発足し、岡村マザーが初代理事長に就任。
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1954年
昭和29年
アメリカの社会福祉事業視察のため、募金を兼ねて、シスター川久保林子とともに渡米。アメリカからも度々会員に書簡を送り、奉献生活を鼓舞しました。帰国後、戦災孤児の中の知的障害児の施設が強く要望されていたので、
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1956年
昭和31年
八王子に知的障害児施設、「甲の原学院」を開設。
八王子修道院建築のためには資金がなく、マザー岡村は立川ベースの米軍に山の斜面の整地を依頼して引き受けていただき、やっと建築を開始。
この頃(59歳)マザー岡村はヘルペスから三叉神経痛に罹り、激しい頭痛を生涯神から頂いた特別な十字架として、捧げていました。
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1958年
昭和33年
八王子修道院完成。同年、「愛生園」は発展的解解消。
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1959年
昭和34年
マザー岡村は初代総長に就任。これまでもその後も、会員に、ご聖体を拠り所とし、相互愛と一致と謙遜に生きるよう促しました。
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1960年
昭和35年
八王子修道院に修練院を開設。
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1963年
昭和38年
藍綬褒章受章。
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1966年
昭和41年
パリ・ミッション会の司祭の要請に応え、静岡県掛川と徳山の保育園に会員を各3名派遣。
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1967年
昭和42年
小金井に修練院を移動。
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1971年
昭和46年
マザー岡村ふくの誓願25周年ミサと祝賀会を吉祥寺教会で開催。
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1973年
昭和48年
マザー岡村は健康上の理由で総長を辞任し、臨時総会でシスター川久保林子が総長に就任。頭痛とともに体力も低下して行きましたが、できる限り病院の患者さん訪問や共同体の小さな仕事をして、姉妹たちを助けようと努めていました。寝たきりになって1年以上会員の介護を受け、最後は桜町病院に入院して、
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1982年
昭和57年
姉妹たちに見守られて静かに帰天しました。82歳、修道生活35年、その一生は深い祈り、病気の人や弱い立場にある人々への愛に満ちたもので、神のみ旨に最後まで“Fiat” と応えた生涯でした。
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1963年(昭和38年)藍綬褒章受章。

  • MOTHER'S PARENTS
    MOTHER'S PARENTS
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    June 3, 1899, born to Takeshiro (a businessman) and Masako (an artist) Okamura.
  • SACRED HEART DAYS
    SACRED HEART DAYS
    Graduated from the Sacred Heart School in 1919 and was converted to Catholicism the same year.
  • NISHI-KOYAMA DAYS
    NISHI-KOYAMA DAYS
    In 1932 Fr. Totsuka moved his clinic to Nishi-koyama which was close to the Okamura's house and the two's relationship deepened.
  • MONSIGNOR VLADMIR GHIKA
    MONSIGNOR VLADMIR GHIKA
    1933 Mother meets Rumanian born Monsignor Vladimir Ghika and is healed.
  • DEATH OF FR. TOTSUKA
    DEATH OF FR. TOTSUKA
    1939 Fr. Totsuka dies leaving Sakuramachi Hospital to Mother Okamura to run.
  • PREPARATIONS BEGIN FOR THE FOUNDING ON THE CONGREGATION
    PREPARATIONS BEGIN FOR THE FOUNDING ON THE CONGREGATION
    Preparations begin to found the Missionary Sisters of St. John the Evangelist.
  • APPROVAL FOR THE FORMATION OF CONGREGATION IS RECEIVED
    APPROVAL FOR THE FORMATION OF CONGREGATION IS RECEIVED
    1944 Permission received from Rome for the founding of the congregation.
  • MOTHER RECEIVES THE HABIT
    MOTHER RECEIVES THE HABIT
    February 1944, Mother Okamura, Fuku Totsuka and Shige Murai receive their habit.
  • MOTHER TAKES HER FIRST VOWS
    MOTHER TAKES HER FIRST VOWS
    1946 Mother Okamura, Fuku Totsuka and Shige Murai take their first vows.
  • AISEIEN
    AISEIEN
    1951 Mother Okamura takes over the running of the war orphans facility "Aiseien".
  • MOTHER AND SR. KUWAKUBO GO TO THE STATES
    MOTHER AND SR. KUWAKUBO GO TO THE STATES
    1954 Mother Okamura and Sr. Kawakubo travel to the United States to raise funds.
  • KONOHARA GAKUIN
    KONOHARA GAKUIN
    1956 the construction of a facility for the intellectually disadvantaged "Konohara Gakuin" is begun.
  • HACHIOJI CONVENT
    HACHIOJI CONVENT
    1958 The construction of the Hachioji convent is completed with the assistance of the U.S. army.
  • MOTHER IS DECORATED
    MOTHER IS DECORATED
    1963 Mother Okamura receives a decoration for her service to welfare.
  • MOTHER PASSES AWAY
    MOTHER PASSES AWAY
    1982 Mother Okamura passes away at 82 after 35 years of religious life.
「神様はたびたび小さな、つまらないものを通して大きな業をなさいます」 「わたしは何者でもありませんが、神様が道具としてお使いくださいました。」 と晩年、マザー岡村ふくは度々語っていました。Mother said in her later years:「God often does wondrous things through small and uninspiring things.」 「God has used me as his instrument despite my being a nobody.」